2020年06月06日

ご近所E 染物屋さん

一間間口のガラス戸の向こうは四畳半位の畳敷きで、入り口はその左にある土間に続く半間の戸を開けてお店に入ります。

畳敷きの奥左端に小さな勘定場の机があって、きれいな身支度をしたおばあさんがいつもちょこんと座って通りを眺めていらっしゃいました。

店の右端にガラスで仕切られた小さなショーケースがあって、きれいな反物が下げられていていました。

その反物は30センチ位ごとに柄が違っていて、時々柄が変わるようにされていて、私はその見本の柄を眺めるのが下校途中の楽しみでもありました。

子供時代、母から「どなたにあっても自分からあいさつしなさい」と言われていたので、たいがいの方にはそのようにしていました。

けれども、染物屋のそのおばあさんだけはご挨拶をしたことがありませんでした。

ほぼ毎日お店を覗いていたけど、子供心にバリアを感じていたのでしょうか・・

一度だけお店の中に入ったことがあります。

叔母が手持ちの着物を染め変える時だったと思います。

付いて行きました・・

畳の上に上がる時は緊張しました、 だってあのおばあさんがいるかと思うと・・

でも出てらしたのは愛嬌のいい女の人でした。

中学生の頃そのお店は閉店してしまい、色の褪せてしまった反物が同じ柄のままショーケースの中に下げられていました。

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2020年05月26日

ご近所D 畳屋さん

階段5段くらい上に広い広い作業場があって、たくさんの畳が作られていました。

職人さんもたくさんいらして活気がありました。

昔の畳は稲わらを何層にも重ねて出来ています。

我が家の座敷の畳も昔ながらのものです。

最近はスチロールとかでしょうか? 踏んでもふわっと感がありませんね。

子供時代、畳の表替えは職人さんが家まで来て庭先などで作業をされていました。

太長の針には驚いたものです。

畳を通すので凄い力が入ったことでしょう。

針と肘はセットで動いていました・・ 

あの時肘には金属を付けてあったような記憶があるけど・・
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2020年05月23日

ご近所C 質屋さん

何度かお使いで伺った事があります。

引き戸を開けて入ると、当時の背丈より高い位置に受付のカウンターがあって、いつも人けがなくて、大きな声でおばちゃんを呼びました。

奥に長い大きな建物でしたので大きな声で呼ばないと聞こえません。

商品や物は見当たらなかったのでもうその頃は「しちや」という名称だけで商いはしてなかったのかな・・?

貸付だけだったのかな・・?

おばちゃんは地味な色の着物にうわっぱりを重ねてて、上品できれいな人でした。

帰り際にはお菓子を頂いたような・・

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2020年05月20日

ご近所B 製材所と木工所

製材所は女子同級生宅で時々遊びに行ってました。

厳格なおばあさまがいらしたのであまりリラックス感はなかったかな。

木工所は我が家の斜め前だったので、たまに入ってはおじさんたちの作業を見ていました。

四角い木材が丸い機械鋸で薄い板にカットされていくときはいい匂いがしました。

木くずをもらって遊んだりもしていました。

今なら「危険だから!」と、入れてはくれませんね・・

ここには一つ上のお姉ちゃんがいらして、町で会うと大人になってからもよく声を掛けてくださいました。

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2020年05月19日

ご近所A アイス製造所

道路に面した場所は駄菓子やさんで、店の奥に上から開く大きな冷凍の箱がありました。

ある日作業をされてる時に遭遇して中を覗くチャンスに。

金属の入れ物に一本づつ棒が差し込まれていてそれはあのアイスキャンディー。

とっても美味しかったな・・



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2020年05月10日

昭和12年生まれの叔母

私が生まれた時叔母は16歳。

ものごころ付く頃、かずねえちゃんが行くところにはいつも一緒でした。


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友人知人の多い姉ちゃんはお付き合いも多くて、旅行や集まりにはいつも連れてくれました。


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自宅の二階で洋裁業もしていたので服も色々作ってもらったな〜。

1枚目は赤いオーバー、2枚目は紺のベストとヒダスカート。白の大きなボタンがアクセントです。

叔母は広いえりでダブル、ヒダスカート、真っ白のコットンスーツ。お気に入りでお出かけによく着ていました。

当時調理師免許も取っていて、レパートリー伝授で助かってます。

去年に亡くなったけど、最後まで明るくておきゃんでした
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2020年04月19日

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祖父は蕗の佃煮作りを得意としていました。

「美味しかったな〜・・」

甘辛く煮詰められたフキは絶品でした♪
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2019年12月14日

明治32年生まれ・じっちゃんはライダー

ものごころつく頃にはすでに「ラビットスクーター」が我が家にあって、それは祖父専用で、

じっちゃんはこれで市内に3か所ある青果市場に仕入れや会議にも行っていて、

仕入れたものは市場のトラックが運んできていました。

先日、スーパーの入口に止まっていたので懐かしくてね、ついつい眺めてしまいました。

父も青果業をしていたけど、経営は別々で、じっちゃんはじっちゃんでけっこう良い商売をしていました。

スクーター、めったに後ろに乗ったことはないけど、高校合格発表の日、乗っけてもらい、、

二人で合格を無事に確認して再び帰り道。

学校の前の交差点の赤信号で止まった時、私はなんとなくじっちゃんから手を放し、不安定で降りていました。

ところが私が降りていることに気づかず青に変わった瞬間さっさと行ってしまいました。

「じっちゃ〜ん!! 待って〜〜!! 置いていかんで〜〜!!」大声で呼ぶけど全然気づかない・・

結局、10キロをとぼとぼ歩いて帰りました。

私が乗ってないことに気づいたのは自宅に着いてからだったみたい・笑

89歳まで生きたじっちゃんは86歳位までスクーターを運転していました。

最後の更新の時「もうそろそろ・・」と説得されたようでした。

免許を返納してからは自転車に乗っていたけど見るからにスクーターのほうが安定感があったように思います。

<ラビットスクーターwiki>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

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2018年06月15日

ご近所@=パン工場

子供時代、小学校を中心に商店が軒を連ねていました。

学校帰り、お店の中をのぞきながらの下校はけっこう楽しかったな。

染物店、薬局、魚屋(2)、床屋(2)、豆腐屋、パン工場・酒屋、米穀雑穀店、八百屋(2)、
製氷・アイスキャンデー製造店、文具店(2)、塩屋、パーマ屋(2)、子供・婦人服店、
菓子店、電気店、自転車屋、駄菓子屋、畳屋、かしわ屋、質屋、精米店、製粉・そうめん製造所、
薬・化粧品店(2)、製材所、養豚(ぶたやさん)、ラーメン屋、病院、焼菓子店、役場、
ガソリンスタンド、傘屋、駅、

景色と風景に混じってそれぞれのお店が記憶にあります。

一回目はパン工場>

こちらは学校給食用の食パンを中心に製造されていて、 菓子パンもありました。

朝、母からのおつかいで食パンを買いに行きます。

工場の入口はガラガラ戸で、入るとふわ〜っと焼き立ての香りが漂っていました。

すぐ右の棚に1斤のパンが並んでいます。

工場にはおじさんやおばさん達が白い衣服で作業をしていました。

声をかけると気づいてくれて、まだ温かい食パンを紙の袋に入れてくれました。

☆彡

放課後はほとんど毎日図書館にいました。

読書三昧だったけど「切り抜き係」もしていたので担任以外の先生方にもよくして頂きました。

ある日の土曜日、司書さん、S先生、K先生と私と同級生、女五人がのんびり図書館に残っていて、、

S先生「お腹すいたね・・ あんぱん食べようか?」「えめちゃんちょっと買ってきて♪」

学校正門のななめ前がパン工場で、その隣が経営が同じの酒と食料品のお店。

あんぱんは、ここのカウンターのはじっこの大きな笊に入れられていました。

放課後と、図書館と、へそのある少しぺたっとしたあんぱん・・ 

食パンとあんぱんの思い出 👀☆

<2009/12/07切り抜き係の思い出>
http://hatue62.seesaa.net/article/134983989.html







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2018年03月07日

新婚旅行 B 吉本のお笑い

宝塚ファミリーランドで遊んだあと再び道頓堀付近へ戻り、

当時の「花月(?)」で吉本のお笑いを堪能。 漫才、面白かったな。

近くには「角座」もあって、藤山寛美さんのお芝居もあってて、、こっちも観たかったな。

さて、にぎやかな場所で笑いながらもこの日の宿を決めてなくて、夫は在の従兄に電話をかけて宿を取ってもらってました。

宿は梅田のホテルに決まり、荷物を置きまた外出。

ホテルから繋がる地下へ下りるとそこはあの有名な梅田の地下街。 食事はここで。

賑やかな場所を行ったり来たりしてウィンドウショッピング。 人もお店もたくさん!

で、そろそろホテルに戻ろうと移動をするけど降りてきた場所が見つからない・・

そうとうウロウロして探すけどもう自分たちがどこにいるのかまるで迷子の大人・・

「こうなったら地上に出よう!」と私。

出たらあっさりすぐそこにホテルが見えていました・笑


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2018年03月03日

新婚旅行 A 宝塚ファミリーランド

二日目は大阪。 とりあえず道頓堀へ向かう。

朝はまだ飲食店は開いていなくてとりあえず開いてるゲームセンターへ。

ゲームをするのは生まれて初めて。

フィギァの馬が一周するゲームがあったのでそれを二人で。

10時頃になると早い店が開き始めた。

で、串焼きの店へ入店。 で、この時間からビールを。

少しほろ酔い・・ で、この後どこ行く?

「宝塚方面は?」

阪急電車で宝塚駅下車。

劇場ロビーは人であふれていました。 歴代のスターの写真を見た後ショーは観ずに隣の遊園地へ。


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動物園も併設されていて、楽しい場所。 ゴーカートでも遊びましたよ。


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旅行着はワンピを3枚持参。 これはけっこう長く着たかな。


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この頃の体重私は58s、夫は53s。 43年後の今、私53s、夫80s☆彡

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2018年02月28日

新婚旅行 @ 京都観光

2月21日は結婚記念日。 毎年お祝いなど無し。 ってゆうか忙しくて忘れてた。

1975年のこの日は大雪の朝。

着付けの美容師さんは男性で、20分で来れるところを2時間もかけて来てくださった。

久留米の料亭で無事に式も終わり、旅行へと出発。

行先は京都。 この日の宿だけ予約しててあとは特に予定なし。

ホテルに着くとこちらで雅楽奏者をしている夫の大叔父が部屋まで会いに来てくださった。

しかもルームサービスまで用意してくださってて美味しいワインとチーズを堪能。

「ありがとうございます!」感謝☆

翌日は市内観光へ。 京都駅前に各ルートの観光バスが発着していて1日コースを選択。

お昼頃から雪が降り始めてあっとゆうまに白銀の京都。

<フード付コートでよかった♪>
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雪の風景にある金閣寺と銀閣寺の美しい事☆

<雪を丸めて・・>
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三十三間堂も好きだったな〜。

二条城や京都御所も歴史を感じて感動☆

満喫のバス旅は夕方に終了。 「さあ何食べよう〜・・」

タクシーに乗り運転手さんに「おすすめのお店」を聞くと、「すきやき専門店」へ案内してくださった。

商店街の路地にあるとてもおいしいお店でした。

翌日は大阪くいだおれの町へ・・


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2017年03月15日

りんご

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キズりんごが安く売られていました。 味はいっしょなのでさっそく購入♪

子供時代、市場から届いた木箱に入ったりんごを店先に並べながらよく口ずさんでいました。

「りんごのひとりごと」 作詞・武内俊子 作曲・河村光陽

1 私は真っ赤な りんごです
  お国は寒い 北の国
  りんご畑の 晴れた日に
  箱につめられ
  汽車ぽっぽ
  町の市場へ着きました
  りんご りんご りんご
  りんご 可愛い ひとりごと

2 くだもの店のおじさんに
  お顔をきれいに みがかれて
  皆んな並んだお店先
  青いお空を 見るたびに
  りんご畑を思い出す
  りんご りんご りんご
  りんご 可愛い ひとりごと

3 今頃どうしているかしら
  りんご畑のお爺さん
  箱にりんごをつめながら
  歌をうたって いるかしら
  煙草 ふかして いるかしら
  りんご りんご りんご
  りんご 可愛い ひとりごと

ひとつづつフキンでぴかぴかに磨きあげながら・・☆彡・・
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2017年01月07日

祖母の両親と弟達

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前列椅子の左二人は私の曽祖父と曾祖母。曾祖母の職業は「髪結い師」

後列3人は祖母の弟達。

右端の末っ子大叔父と椅子に掛けてるのはその奥さん(去年の9月に96歳で逝去、最後まで健康で元気でした)

赤ちゃんは昭和15年生まれのかずひこちゃん。これは昭和16年お正月の写真かな。

この中で会ったことのある人は曾祖母、中央の大叔父、かずひこちゃん母上、かずひこちゃん。

海軍姿の大叔父は戦死。

かずひこちゃんの妹は美容師。髪結いのDNAを受け継ぎました。

中央の大叔父も海軍で戦後は理髪店を。こっちもDNAを受け継いだみたい。

かずひこちゃんには今でも言われる思い出・・

かずひこちゃんが高校生頃、私2歳。映画に連れてってもらって、膝の上でおもらしをしたって思い出話・笑

祖母には妹が一人いて、全部で5人妹弟。

妹は波乱万丈で、70代で逝去。 かっこいい生き方をした人でした。

かずひこちゃん夫婦とは今でも時々縁があります。
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2016年04月02日

入園式の朝

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当時、長女4歳、次女2歳。

私も通った幼稚園へ入園しました。


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お天気の良い朝だったね〜

このころは熱心に子供たちの服を縫ってました。

「大草原の小さな家」のローラちゃんみたいな服が好きでね、

広えりのワンピースにロングエプロン♪

このピンクレース生地を知人から4メートルも頂いたので私もローラのお母さんみたいな長いエプロンを作って愛用していました。
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2016年04月01日

桜吹雪の日

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次女、大学入学式の日  ちょうど20年前の4月。

桜吹雪がきれいだったな〜

引っ越しは3月のうちに、娘、私、夫の3人で実行しました。


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私の車には布団や食器やこざこざを。

前を行く夫の軽トラにはタンスや椅子など大きなものを(写真はあとで)

冷蔵庫や炊飯器はアパート近くの量販店で用意しました。

ああ懐かしいな〜☆
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2016年03月30日

叔母達

<踏切の後ろは薬局、その隣はパーマ店、その隣の隣は洋服店>
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↑下の叔母。叔母はデートに行く時叱られ予防にいつも私を連れて行きました。

少々遅くなってもいいように(笑) 私は美味しいココアが飲めるのでラッキーでした。

線路土手にはこの時期つくしがいっぱいで、たくさん摘んで叔母から佃煮を作ってもらいました。

<菓子店前で>
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↑こちらは上の叔母。

うちの店の隣は菓子屋さん。 奥の厨房で大将が甘い匂いの美味しい焼き菓子を作っていました。

二人の叔母達はけっこうもてていました^^
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2016年03月23日

曾祖父と曾祖母

父方の二人。 以前にもUPしたけどもう一枚あったので・・

これは仕事着のままかな?


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矢部から繋がる県境の大分県は森林の産地。

昔から杉やケヤキが家具の町大川へと運ばれていました。

自動車などない時代運ぶ力は馬や人。でも長い距離を運搬するには人も馬も休息が必要。

で、先祖はこれを商いにしていました。

馬には水と草を食べさせ、人も一息つけ体を休めさせる宿。

昭和の初期までは商いをしていたようで、、

子供だった父は早朝に草を集めに行かされるのがとても嫌だったと語っておりました☆

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2016年03月18日

昭和の風景 商品作り

筍の時期ですね。

この時期だけ祖父は農家から筍を買い取って市の南にある缶詰工場に卸していました。

ある日祖母は一斗缶に製品化された茹で筍を再び仕入れ、スライスして小袋で売る事を思いつきました。

赤で印字された商品は青果市場に毎日出荷します。

<祖母と上の叔母>
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この頃の祖母はずいぶん痩せて来て横になることも多かったけど、生来の働き者で作業に励んでいました。

私は学校から戻るとこの筍入りの袋の口を熱の出る閉じ器で「ぺたっ」と閉じる役目をしていました。

この写真の右に居たんだけど写っていませんね・笑

<筍の思い出@>
http://hatue62.seesaa.net/article/39335464.html

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2016年03月17日

昭和の風景 テレビがやってきた日

<昭和36年9月>
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父と弟、大相撲中継を見ています。

置かれた場所は床の間・・(笑)

右の置物は鯉の滝登り。弟、初節句のものです。

床の間の左は仏壇。

毎朝祖母がお経を上げていて、学校に行く前に横に座っていっしょに拝んでいた私。

テレビはしばらくして居間の続き間に置かれて、以後はずっとその場所にありました。
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