おとといの連句の会場も同じ場所だったので再び通るがまたまた迂回を・・・
今回迂回するとなんと橋が撤去の最中!
西側にりっぱで大きな橋の通行が始まったので「もういらない」ってわけ?
そのまま残したら住民さんにも便利かなとも思うけど、、
新しい橋をどうしても通って欲しいのかな?
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さて独り言はさておき、春にこちらの写真を撮っていました。
こんなことなら橋の写真も撮っておけばよかった★
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さて独り言はさておき、写真をUPしましょう☆

橋の欄干と古代からあるクスノキ(よね?)
まさかこの大木は撤去されないでしょう。

反対側、川へ降りたほうにはお地蔵様が祀られています。
私は降りる勇気がありませんでしたので上から手を合わせました。
☆
昔々、天武天皇に命じられた景行天皇は日本書紀を編纂する為に九州を歩いて旅をしました。
熊本の玉名を過ぎ、三池の歴木〜高田〜八女〜藤山〜浮羽と移動をされる。
高田から旧瀬高町を通り八女に向かうには矢部川を越えなければならない。
この川は今でも雨が続くと水かさが増して猛烈な激流となる。
古代は度々の氾濫を繰り返し八女市の北部の山のふもとあたりまで蛇行をしていた模様。
この激しい川、古代に大きな橋はあろうはずもない。
その代わりに瀬渡し船があったと思う。
この場所は深い入り江になっていて船の係留に向くかも。
<橋の上から撮ったこれは現在 myPC の背景に♪>

で、古代の船着場と勝手に命名。
景行天皇はこの場所から八女の地に入られたと勝手に考える。
空想は自由なので許してね(=^・^=)v
奥に見える山々は、景行天皇が日本書紀の中で水沼の県(みずぬまのあがた)に「あの美麗な山々は?・・」とお尋ねになられた、八女津媛が在した神秘的な奥八女☆
ずっと橋がなかったのかもしれませんね。
こちらの千曲川も、現在と比べると驚くほど橋は少なく、わたし舟が多かったようです。
どんな古代の舟がこの川を行き来したのでしょうね。
さらに昔は卑弥呼のいわれもありますので、ロマンが広がります♪
写真では狭めに見えますがけっこうな川幅があります。
どこの川も昔は暴れる龍のように激しいうねりと氾濫をくり返していたのでしょうね☆
古代の舟>>こちらもロマンがありますね^^
やはりここは神秘の場所でした・・☆